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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)2613号 判決 1979年6月18日

原告 松元正雄 ほか一名

被告 国

代理人 布村重成 小池義樹 ほか五名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らそれぞれに対し、各金一二〇八万八一九六円及びこれに対する昭和四八年六月八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮に原告らの請求が認容される場合には仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故の発生等

亡松本正文(以下「正文」という。)は、昭和四八年四月二六日、陸上自衛隊に入隊し、第三教育団第一一三教育大隊第三三八共通教育中隊第一区隊所属の二等陸士として、鹿児島県国分市の陸上自衛隊国分駐とん地において、新隊員前期教育課程を受講していたが、同年六月八日午後五時ころ、正文ら新隊員が、区隊長椛村三尉、班長柿園二曹の指揮により、右駐とん地内において、腕立て伏せ運動を実施した(以下「本件訓練」という。)ところ、本件訓練中の同日午後五時一〇分ころ、身体に異常をきたして意識不明となり、同日午後六時二五分ころ、駐とん地内の医務室において死亡した。

2  正文の直接の死因

正文は、胸腺リンパ腺体質から、急性心不全による肺水腫を起こして死亡したものである。

3  本件事故の原因

(一) 本件事故の根本原因は、自衛官の採用基準に達していない正文を、故意ないし過失に基づき採用基準に合致したものとして違法に採用したことにある。すなわち、

(1) 自衛隊法施行規則第二七条は、自衛官として採用することができる身体的基準について規定し、これによれば、(ア)身長は一五五センチメートル以上であること、(イ)体重は四七キログラム以上であつて身長との均衡を失つていないこと、(ウ)体く完全、身体強健で、疾患異常のないことが要件となつている。

(2) 正文は、身長一五四センチメートル、体重四五ないし四六キログラムであつて、右採用基準に達していなかつたにもかかわらず、積極的に入隊を勧誘し、採用時の身体検査の際、身長、体重ともに、実際の計量結果に数値を加算し、あえて採用基準に合致するものとして採用したものである。

(3) 仮に、正文の身長、体重が、採用基準としてのそれに合致していたとしても、正文は、胸腺肥大、リンパ節肥大、大動脈、副腎発育不全等の諸特徴を有する胸腺リンパ腺体質者であり、本来的に体力が不足し、虚弱体質であつたが、大動脈、副腎の発育不全はその身長、体重等の外形的特徴により推定できるし、リンパ節肥大は少くとも医師の触診によつて判明するのであるから、正文を採用するに際しては、正文が胸腺リンパ腺体質者であることを予見して採用基準に合致しないと判断し、その採用を差控えるべきであつたのにこれを怠り、安易に採用したものである。

(二) 仮に、右が認められないとしても、本件訓練は、区隊長椛村三尉及び班長柿園二曹が、正文ら新隊員に対し、正規の訓練終了後居残りを命じて実施した、予定外の、いわゆる特訓であり、本件事故は、この違法な命令に起因する。すなわち、

(1) 正文は、日常の体力的訓練で常に下位の成績であり、また訓練を消化することすらできなかつたのであるが、軍隊組織においては、体力不足や成績不良が顕著であれば訓練や体力養成の名目で上級者から鍛えられることが通常であり、本件訓練も同性質のものである。

(2) 本件訓練の内容である腕立て伏せ運動は、サーキツトトレーニングであるが、新隊員教育課程中の体育のうち、サーキツトトレーニングへの配当時間は二時間であり、すでに、昭和四八年五月二九日に二時間の履修が終了していたのであるから、本件訓練は当初から訓練予定には入つていなかつたものである。

(3) 仮に、本件のサーキツトトレーニングが体育とは別の業間訓練として当初から予定されていたとしても、業間訓練とは、午後五時の課業終了時までの正規の課業の合間に行われるべき訓練であるにもかかわらず、本件訓練は、正規の課業の終了した午後五時以降の勤務時間外になされたものである。

(4) 第一一三教育大隊は、本件訓練が予定外の、ないしは勤務時間外の、いわゆる特訓であり、その最中に本件事故が発生したため、事故処理に窮し、やむなく本件訓練に補備訓練という名称を付してこれを隠蔽、正当化して事故を処理したのである。

(三) 仮に、右が認められないとしても、本件事故は、区隊長椛村三尉、班長柿園二曹らの本件訓練実施に際する過失に起因する。すなわち、本件事故が発生したのは、新隊員教育課程中最も疲労を伴う時期であるとともに、本件事故の当日は、体力検査、戦闘訓練が連続して実施され、正文ら新隊員は、これら過激な訓練と不慣れな作業とによつて、体力を消耗し尽くしていた。殊に正文は、前記のとおり胸腺リンパ腺体質者で、本来的に体力が不足し、虚弱体質であり、日常の体力的訓練においては常に下位の成績であるか、または訓練を消化することすらできなかつたし、本件事故当日も土のう運搬の際、何回試みても土のうが持ち上らず成績をつけるにも至らなかつた状況であり、かかる成績状況にあつて、正文が他の新隊員との比較及び教官の視線を意識するあまり疲労を倍加、加重させるであろうことは、容易に推察し得ることである。ところが、区隊長椛村三尉、班長柿園二曹らは、安易に本件訓練を実施し、正文の右状況を考慮することを怠つた。

4  被告の責任

正文の採用に際しての身体検査者、判定官、区隊長椛村三尉、班長柿園二曹は、いずれも公権力の行使にあたる公務員であるところ、同人らはその職務を行うについて、前記3のとおりの故意ないし過失によつて本件事故を惹起させて正文を死亡するに至らしめ、正文及び原告らに損害を加えたのであるから、被告は国家賠償法第一条第一項によつて、これを賠償すべき責任がある。

5  損害 <略>

6  よつて、原告らは、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償請求として、各金一二〇八万八一九六円及びこれに対する本件事故発生時である昭和四八年六月八日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、正文の直接の死因が急性心不全であることは認める。

3  同3の事実について

(一) 3の(一)(1)の事実は認める。正確には、自衛官採用のための身体的合格基準は、自衛隊法施行規則第二七条並びに自衛官及び防衛大学校又は防衛医科大学校の学生の採用のための身体検査に関する訓令(昭和二九年防衛庁訓令第一四号)第四条及び同条別表第一により、身長は一五五センチメートルであること、体重は、身長一五五センチメートルないし一五八センチメートルの場合四七キログラム以上であること等が定められている。

3の(一)(2)の事実は否認する。正文は、採用時、身長一五六センチメートル、体重四七キログラムであつた。

3の(一)(3)の事実のうち、正文が胸腺肥大、副腎萎縮等の諸特徴を有する異常体質者であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。選考時、採用時の二度の身体検査の際、身体上全く異常は認められなかつたし、入隊時の体力測定においても十分な体力が認められた。

(二) 3の(二)(1)の事実は否認する。

3の(二)(2)の事実は否認する。本件訓練は、予め計画され、実施された補備訓練であり、体育のサーキツトトレーニングの配当時間の外に午後五時から二〇分間実施することが予定されていた。すなわち、本件補備訓練は第一一三教育大隊教育訓練実施規則(第一一三教育大隊達第一一〇―一号)第一三条に基づく「しつけ指導及び補備訓練実施要領」に依拠して同教育大隊第三三八共通教育中隊第一区隊が予め作成した「四月隊員週間訓練実施予定表」に計画され、実施されたものである。

3の(二)(3)の事実は否認する。体力の維持向上、射撃の練度向上は、教育課目表により配当された体育、射撃の各時間内の演練のみではその目的達成に不十分であり、不断の反復演練を重ねることが必要であるため、各教育部隊は短かい時間をも活用して体力及び射撃の練度向上を目的とした補備訓練を計画的に実施している。補備訓練のうち、射撃予習は、その性質上、早朝に実施するのが適当であるため午前七時三五分から二〇分間実施していたのであるが、サーキツトトレーニングは、その性質上、夕刻に実施するのが適当であるため前記「しつけ指導及び補備訓練等実施要領」に補備訓練の実施時間として定められている午後五時五分から同五時二五分の間に実施されたものである。そして、自衛官の勤務時間及び休暇に関する訓令(昭和三七年防衛庁訓令第六五号)第四条によれば、部隊等に勤務する自衛官の通常の日課は、課業開始が午前八時、課業終了が午後五時となつているが、同訓令第一〇条は、「部隊等の長は、行動、訓練、演習等のため必要がある場合には、第四条の規定にかかわらず特別の日課を定めることができる」旨規定しており、前記の「四月隊員週間訓練実施予定表は、右の特別の日課に該当し、本件補備訓練は同予定表に定められた時間内に実施されたものである。

3の(二)(4)の事実は否認する。

(三) 3の(三)の事実は否認する。区隊長椛村三尉、班長柿園二曹らに過失はない。すなわち、次の点からすると、本件事故は予見できず、区隊長、班長らに注意義務違反があつたとはいえない。

(1) 昭和四八年四月一八日と同月二六日に実施した選考時、採用時の身体検査の際、正文につき異常は発見されず、正文からも身体の状況について特別な申立てがなされなかつたのであり、入隊後、同年五月七日、感冒のため受診(同月一一日治癒)したほか身体の不具合を申出たことも医師の診断を受けたこともなく、同年五月一七日に実施された体力検定も異常なく終了し、同年五月二〇日以降、殆んど毎日、二五ないし三〇分間にわたり自主的に営庭を走る等して、体力増強に努めていたのであり、正文の死因が急性心不全であつて、正文が異常体質者であることは解剖の結果はじめて判明したものである。

(2) 本件事故の当日、正文と同じく訓練を受けた新隊員中、身体に異常をきたした者及び異常を訴えた者はいなかつた。

(3) そして、本件事故の当日、訓練実施に際しては次のとおり配慮していた。すなわち、体力検定に先立ち、区隊長及び班長は、隊員各人に対し問診し、健康状態に異常がないことを確認し、その後の身体の手入れ、昼食等の時間に充分な休養をとらせ、昼休み時、戦闘訓練時に、隊員の健康状態には十分着目していたが、正文に別段の異常は認められなかつた。

4  同4の主張は争う。

5  同5の事実について (一)のうち正文の生年月日、死亡時の満年齢及び就労可能年数並びに(一)(1)のうち階級号俸、本給金額を認め、その余は争う。(二)のうち原告らが正文の父と母であり、ほかに同人の相続人は存しないことを認め、その余は争う。(三)は争う。(四)は知らない。なお、被告は、原告松元正雄に対し、本件事故による公務災害補償として、昭和五四年二月までに、合計金二九六万二一〇三円を支払つている。

第三証拠 <略>

理由

一  本件事故の発生等

正文が、昭和四八年四月二六日、陸上自衛隊に入隊し、第三教育団第一一三教育大隊第三三八共通教育中隊第一区隊所属の二等陸士として、鹿児島県国分市の陸上自衛隊国分駐とん地において新隊員前期教育課程を受講していたこと、同年六月八日午後五時ころ、正文ら新隊員が、区隊長椛村三尉及び班長柿園二曹の指揮により、右駐とん地内において本件訓練を実施中、同日午後五時一〇分ころ、正文において身体に異常をきたして意識不明となり、同日午後六時二五分ころ駐とん地内の医務室で死亡したことは当事者間に争いがない。

二  正文の死因等について

1  正文の直接の死因が急性心不全であることは当事者間に争いがない。

2  次に、<証拠略>を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、正文は、死亡してから一六時間四〇分後に鹿児島大学医学部第一病理学教室で同学部助手渡辺研之の執刀により解剖された。その結果、(ア)肺臓は著しい肺水腫の状態が生じていること、(イ)大動脈の大きさは、一般に下限が四センチメートル、上限が五・五センチメートルくらいで年齢が高くなければ大きくなるものであるところ、正文の場合は、胸部で四センチメートル、腹部で三・二センチメートルであつて、正文の一九才という年齢に鑑みて小さかつたこと、(ウ)副腎は、左右合計して一〇グラムくらいが正常であるところ、正文の場合は、左二グラム、右三グラムで肉眼的に小さかつたこと、(エ)胸腺は、通常、生下時の体重比が最も大であり、それ以後の絶対的な大きさは増大し続けるが、一一才ころになり一五ないし一六グラムを超えると急激に退縮し、一五、六才を過ぎると脂肪組織に変化するが、正文の場合、実質性で二〇グラムあり、年齢に比較して大きく、胸腺の肥大が残存しており、右肺尖部及び側胸部において軽く繊維性に癒着が認められたこと、(オ)腹腔のリンパ節は、通常米粒大で肉眼的に多数見えるものではないが、正文の場合、これが腫大し、腸間膜、後腹壁、胃周囲に小豆大から大豆大のものが多数存したこと、(カ)脾臓のリンパろ胞が不規則に肥大散在していたこと、(ヨ)肝臓の大きさは一一七〇グラムでやや小さく、発育不全であつたこと、が診断された。

そして、一般的に、心不全が起こる原因としては、(1)心臓に入る血液がなくなつた場合、(2)心臓から出る血液が出にくくなつた場合、(3)心筋の働きが悪化した場合、の三つが一応考えられるが、解剖の結果、正文の場合は右のいずれにもあてはまらなかつた。

ところで、胸腺リンパ腺体質は、特異体質の範疇に属し、心循環器系の虚弱性が認められ、胸腺は、成人すれば通常、機能的にも形態的にも縮少されるが、胸腺リンパ腺体質者にあつては胸腺が肥大残存し、全身のリンパ組織が異常に発達して脾臓や腸粘膜のリンパ系統も肥大する特質を有していると言われ、外的作用に対する反応が著しく過敏であつて、主観的・客観的に健康な者が、通常人が耐えうる程度の労働ないし運動、些細な手術や注射を行つた場合、急に興奮させ驚したりした場合に突然心臓麻痺を起し急死することがあるものであること、血管心臓系の発育不全の傾向が強く、大動脈や他の血管も狭く、心臓は屡々一定度肥大、拡張していることもあるが、心筋の厚さはむしろ薄いこと、副腎皮質及びその他のアドレナリン系統の発育が悪く、運動の好調性に欠けていること、皮膚は蒼白にして弛緩し、皮下脂肪が多く、身体の充実的発育が不充分であり、小児的体型を示しているが屡々見受けられること、が特異傾向ないし反応様式として列挙ものできるものとされている。

右認定事実によれば、正文は、胸腺リンパ腺体質者であつたため、本件訓練中に急激な心機能の低下をきたし、急性心不全に陥いつたもので、その原因はいわゆる胸腺死であるものと推認するのが相当である。

三  本件事故の原因について

1  採用の違法について

(一)  自衛官として採用することができる身体的基準が原告主張のとおりであることについては当事者間に争いがない。

(二)  原告らは、正文を採用するにあたり、正文の身長、体重が採用基準に達していないにもかかわらず、故意に身長、体重が採用基準に合致しているものとして採用したことが本件事故の原因であると主張するのであるが、仮にそうであるとしても、正文の死因は前示のとおりであるから、本件事故と右採用との間に相当因果関係があつたということはできない。

(三)  次に、原告らは、正文を採用するにあたり、正文が胸腺リンパ腺体質者で、本来的に体力が不足し、虚弱体質者であつて、これを予見して採用を差控えるべき義務を怠つたことが本件事故の原因であると主張するのであるが、<証拠略>によれば、胸腺リンパ腺体質は、自覚症状がなく、外観上これを発見することは困難で、(1)胸腺については、それが非常に大きい場合にはじめて胸腺肥大残存がわかるにすぎないこと、(2)大動脈発育不全については、大動脈造影を行つてもこれを判定するのは困難であること、(3)副腎発育不全については、副腎の機能を測定して明確に低い結果が出た場合にはじめてこれがわかること、(4)表在性リンパ節の腫大については、胸腺リンパ腺体質者以外の多くの病例でも同様の症状を呈し、必ずしもこの体質に特有のものではないこと、(5)体格が小さいという特徴だけで胸腺リンパ腺体質を推定することは困難であること、などの理由からこの体質を外観から発見することは実際上難かしく、従つて死亡後解剖しなければ判明しないものであること、正文の胸腺は、肥大しているとはいえ、外観からは発見できない程度の大きさであり、表在性リンパ節は外景からは触知できなかつたことが認められ、また、その採用に際しての身体検査に、大動脈造影検査、副腎機能検査を実施することは、特にその必要性を肯認するに足りる特段の事情がうかがわれない本件にあつては、その性質上過大な要求と言うべきであつて、以上を総合すると、結局原告主張の過失は、これを肯認し難く、他にこれを認めるに足る証拠もない。

2  命令の違法について

原告は、本件訓練が、正規の訓練終了後居残りを命じて実施した予定外のいわゆる特訓であり、本件事故は右違法な命令に起因する旨主張するが、右事実は本件全証拠によつても認めることができない。かえつて、<証拠略>を総合すると、自衛官の勤務時間及び休暇に関する訓令第四条(昭和三七年防衛庁訓令第六五号)により、部隊等に勤務する自衛官の通常の日課としては、課業開始午前八時、課業終了午後五時と定められているが、同訓令第一〇条で、部隊等の長は、行動、訓練、演習等のため必要がある場合は、第四条の規定にかかわらず特別の日課を定めることができる旨定められていること、新隊員の教育内容は、第三教育団から教育課目表で示され、教育期間中にその全てを実施するようになつていたこと、新隊員の訓練の具体的内容及び実施時期は、大隊から示される教育訓練実施計画に基づいて各中隊で決定し、これを毎週一週間単位で作成する「四月下旬隊員週間訓練実施予定表」に基づいて実施していたこと、右「四月下旬隊員週間訓練実施予定表」中には、「訓練実施予定表」と「業間訓練、訓育躾、機会教育指導予定」とが区分して記載されていること、そのうち「訓練実施予定表」中記載の課目については午前八時から午後五時までの間に実施されること、「業間訓練、訓育躾、機会教育」は、これを補備訓練と称し、この指導は大隊によつて示された「しつけ指導及び補備訓練等実施要領」に基づき週間予定に組み入れられるもので、右実施要領中には、補備訓練のうち業間になされるものとして、球技、隊歌指導、駆足、サーキット、射撃予習、基本教練の各内容が記載され、更に業間訓練の指導時間の基準として、夏期においては、朝方は午前七時三五分から午前七時五五分まで、夕方は午後五時五分から午後五時二五分までとし、冬期においては、朝方午前七時四五分から午前七時五五分までとする旨の記載もあること、補備訓練の目的は、体育、射撃訓練については、教育課目表に示された配当時間内では実際に体得するに至らないため、一日のうちの微細時間を活用して隊員にこれを体得させるにあることが認められ、これらの事実によれば本件訓練は、あらかじめ計画され、しかも予定時間に実施されたものであり、その実施になんら違法な点はなかつたことを推認することができる。

3  区隊長、班長らの過失について

<証拠略>を総合すると、新隊員の前期教育課程は一〇週間にわたるものであるが、第四週ころから戦闘訓練、射撃訓練が開始され、本件事故発生日はその第六週にあたり、体力を消耗する訓練が続いていたこと、本件事故の当日は、午前八時一〇分から午前一一時三〇分まで一〇〇メートル走、ソフトボール、懸垂、走り幅跳び、土のう運搬(重量五〇キログラム、運搬距離五〇メートル)、一五〇〇メートル持久走の六種目につき、入隊後二回目の体力検定が実施され、午後一時から午後四時前ころまで戦闘訓練が実施されたこと、正文は、昭和四八年五月一八日実施の入隊後初回の体力検定の際、下位の成績であつたこと、本件事故当日、体力検定の土のう運搬の際、土のうが肩まで上らず級外となり、全員が土のう運搬終了後更に二回実施したものの結局級外であつたことが認められ、これらの事実を総合すると、本件事故発生日のころは、正文のみならず新隊員全員にとつて身体に疲労を感ずる時期であり、更に正文が他の新隊員に比較して体力が劣つていたことを推認することができる。

そこで、区隊長、班長らが本件訓練を実施したことにつき、正文の身体の状況を考慮しなかつたか否かにつき判断する。正文が胸腺リンパ腺体質という特異体質者であつて、この体質は自覚症状が全くなく、外観から発見することは困難であるうえ、常人が耐えうる程度の運動を行つた場合にも急死することがあることは前認定のとおりであり、更に、<証拠略>を総合すると、正文は、外観上は、体格はやや小柄であり、前認定のとおり体力検定の成績は下位ではあつたが運動については積極的な態度を示し、初回の体力検定の後、区隊長椛村三尉から懸垂、持久走等は訓練により向上すると言われるや、自主的なトレーニングを開始し、しばしば課業終了後や休日に営庭において持久走を行つていたこと、しかも右自主トレーニングに積極的な余り、他班長や、区隊長椛村三尉、班長柿園二曹から過度にならぬよう注意を受ける程であつたし、射撃訓練、戦闘訓練、体育等体力的な課目が実施された日でもこれを行つていたこと、特に死亡前一〇日間のうち九日間はこれを行い、うち一部は日記に記載して区隊長もこれを閲覧していること、入隊以来感冒のために一度医師の診療を受けたことがあるのみであること、本件事故当日も、正文は事故発生直前まで格別の異常を訴えていないこと、本件訓練は腕立て伏せ運動であること(この点は当事者間に争いがない。)が認められる。以上の事実を総合すると、区隊長椛村三尉、班長柿園二曹らは、右認定した正文の本件事故発生までの一連の客観的状況からは、本件訓練について特別に正文を除外すべき事情を見出し得ない状況にあつたことが明かであるから、区隊長、班長らにつき注意義務違反があつたとは認められず、他にこれを認めるに足る証拠もない。

四  結論

よつて、原告らの本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山口繁 遠藤賢治 仁平正夫)

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